縦軸に何のデータを使ったかは後ほど明かす。CSの前身のパ・リーグプレーオフ導入でまずパ・リーグの価値が上がり、セ・リーグはCS導入1年後から追随したことが読み取れる。
しかし、メディアや評論家を始めとする多くの人がこのデータと正反対の主張をしている。
だが、1位が独走して優勝争いへの関心が薄れた場合、3位以下によるCS進出争いにファンやメディアの注目が移ってしまうなど、約半年をかけて戦い抜くペナントレースの価値観が低下するのではないかという声も依然としてなくならない。
横尾弘一,ペナントレースの価値観が問われるCS制度。落合私案は「たすき掛けの日本一決定戦」【横尾弘一の野球のミカタ】,2016/09/29,ベースボールチャンネル
ただ、今回の結果に「もやもや」を感じるファンは多いかもしれない。何しろ、ペナントを制した広島とDeNAのゲーム差は14・5。広島ファンは「長い戦いの価値は何だったのか――」という思いだろう。
吉村良二,広島のCS敗退、ペナント独走優勝の価値考える機会に,2017/10/25,朝日新聞デジタル
リーグ覇者と日本シリーズの進出チームが異なるということになってくると、どうしてもリーグ優勝の重みが薄れる。
権藤博,CSは本当に必要か ペナントレース、無にする恐れ,2013/7/16,日本経済新聞
「ペナントレース優勝の価値」には、似た表現がいくつかある。
まず、「優勝」を除いたものがある。優勝だけでなく他の順位やゲーム差も考慮したいときは当然優勝といわないが、「ペナントレースの価値」=「ペナントレース優勝の価値」と置き換えても通じることも多い。
また、「価値」を「重み」や「意味」に替えたものも見かける。使い方はほぼ同じであり、入れ替えてもそのまま通じる。
本記事では、「ペナントレース優勝の価値」について書くが、中身が同じ別の表現も対象としている。
問題は「ペナントレース優勝の価値」を測るものさしである。CS制度を論ずるとき、ほとんどの人はペナントレース優勝の価値を日本シリーズ出場権で測っている。厳密には、ペナントレース優勝の報酬として日本シリーズ出場権をとらえている。CS出場は100%でない日本シリーズ出場権にあたる。
わざわざ報酬という言葉を使ったのは、ペナントレース優勝の価値と日本シリーズ出場権はあくまで別物だからだ。例え日本シリーズが廃止されてもペナントレース優勝には価値が当然ある。日本シリーズ出場権そのものにも価値があるので分かりにくいが、ペナントレース優勝のさまざまな価値の中の一つが日本シリーズ出場権という報酬なのである。
先ほどの引用に当てはめてみよう。
CSで3位争いに注目が移るのは、日本シリーズ出場権が3位までに分散したためである。その分、ペナントレース優勝チームの日本シリーズ出場権が目減りしたことを、「ペナントレースの価値観が低下する」と横尾氏は表現する。
独走というひときわ高い価値がある優勝にも関わらず、日本シリーズ出場権という報酬を失ったファンの落胆を、吉村氏は「長い戦いの価値は何だったのか――」と表現する。
リーグ優勝チームが日本シリーズ出場権を得られないのは報酬が少ないと書く代わりに、権藤氏は「リーグ優勝の重みが薄れる」と表現する。
まとめると、CS批判で「ペナントレース優勝の価値を損なう」というとき、実際には「ペナントレース優勝の報酬が減った」ことを問題視しており、その報酬とは日本シリーズ出場権である。
これは単なる言い替えに過ぎないのだろうか。
まず、CSでペナントレース優勝チームの日本シリーズ出場権が減っても、その分下位の出場権の増加にまわっているだけで、リーグ全体では変化ない。優勝チームの損のみに言及するのは公平ではないし、ましてや「ペナントレースの価値」等という全体の話ではない。
次に、ペナントレース優勝のさまざまな価値のほとんどを無視している。冒頭のグラフは、リーグ優勝チームのポストシーズンの本拠地での試合数をまとめたものである。球団の収入に直結する数字であり、優勝の価値を測る尺度に十分なりうる。まさに価値観によりけりであり、価値の増減というのは単純な話ではない。
CS論議で「ペナントレース優勝の価値」が出てきたら、その価値の中身に注意したほうがいい。見かけより視野の狭い話をしていることが多々ある。